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大連紀行 1
週末を利用して大連へ行った際、日本人のいた足跡を残す大連市内の洋館散策をしてきました。
1898年(明治31年)大連・旅順を租借した帝政ロシアは、新市街を建設し、そこをロシア語で「遠方」と意味する「ダーリニー」と命名しました。1905年、日露戦争を経て日本の統治下に置かれるようになると、ダーリニーに漢字を当てて「大連」と呼ばれるようになったのだそうです。
日本人にとって当時”アカシアの大連”とよばれたこの街。満州の玄関口として多大な資本を投下して都市建設を行い、何万という日本人が夢を求めてこの地にやってきました。大連の市内の中心部がほとんど日本人街であったため、日本人が建てた建物が今も数多く残っています。残っている洋館は想像以上に立派で、そして想像以上にたくさんあって大感激。正直、これだけの街を作り上げた当時の技術は素晴らしいと思ってしまいますが、でもその日本人の建てた歴史を、今もずっと保存していてくれているのは本当にすごいことですね。
大広場跡
現:中山広場
横浜正金
銀行跡
東洋拓殖(株)跡
満鉄本社跡
洋館跡
安
楽
街
安
陽
街
魯
迅
路
↓
人
民
路
↓
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玉光街→
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*はすべて画像に飛びます。クリックして、当時の面影をご覧下さい。
順番に見る場合は、関東逓信局跡からお入りください。
*2005年6月撮影