←日本橋を渡ると、そこは当時、日本人から露西亜街とよばれた所。帝政ロシアが最初に都市を形成した所です。

橋を背にして右側にあるのがこちら満鉄大連護路事務所跡。鉄道護路とは鉄道守備を言うそう。帝政ロシア時代は、東清鉄道汽船会社の別棟だったのだそうです。
1902年の建設で、現在は、勝利酒店として使用。
勝利街33号
←1896年、帝政ロシアは東清鉄道の敷設権を得て翌年から鉄道建設に着手しましたが、当時の東清鉄道汽船会社があったのがこの建物。ドイツ人建築家による設計で、1902年に建設されたそう。

その後日本統治時代は満鉄日本橋図書館として使われ、現在は、大連芸術展覧館として使用されています。
勝利街35号
←日本橋図書館跡をさらに奥に進むと、たくさんの美しい洋館にめぐりあえます。
こちらは現在ホテルとして使用されてますが以前もホテルだったのでしょうか。

こちらはマンションみたい。それぞれに美しい洋館です。  →
←水色の窓枠がひときわ目をひいていた洋館。
お洒落で古い洋館がたくさん並ぶ通りです。
露西亜風情街
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