23 JAN 2010
嗚呼 満蒙開拓団
羽田澄子氏の記録映画『嗚呼 満蒙開拓団』が、北京のSK大廈の中にある日本文化交流中心で上映されました。当日は50人くらいしか人が集まっていなかったのがなんとも残念。もっともっと多くの人にみていただきたい作品です。参加者はわりと中国の人が多かったですね。この作品は2009年文化庁映画賞 文化記録映画大賞を受賞されているそう。映画というよりは本当にドキュメンタリータッチなので、確かに内容的に本当に興味のある人しかこないかもしれません。


現在でも『方正友好交流の会』というのがあり、中国の人によって管理維持されている方正日本人公墓を支援していく活動を行っているそうです。

http://www.houmasa.com/

←こちらは2006年ハルピン旅行にいった際、方正まで足をのばして方正日本人公墓へいってきた時の写真です。広い敷地でしたが、訪れる人はほとんどいなくて、管理人さんがきちんと手入れしてくれているようでしたがひっそりと静まり返った墓地でした。

方正の日本人公墓には過去二回訪れたことがあるので、こうやって映画としてその存在がさらに多くの人々の目にふれ記憶に残っていくことはすばらしいことだと思います。
満蒙開拓団とは、戦時中日本政府の国策によって中国大陸の旧満州や内蒙古に入植させられた日本移民のことをいうそう。1945年の敗戦までに送り込まれた開拓団民は27万人といわれているそうです。

終戦にともない、難民と化した旧満州の開拓団の人々は、ソ連軍から追われながらハルピンを目指し、しかしながら寒さと飢えと病気によって、途中の方正の地で数多くの方々が息絶えていきました。

戦後十数年後、大量の白骨の山をみた残留婦人の方が埋葬を願い出て、その願いは政府を通じて周恩来のところまでいきました。そして周恩来の支持によって1963年、軍国主義の犠牲者として彼らは手厚く葬られることになって方正日本人公墓が建立されたのだそうです。
←こちらは日本人公墓の入り口。
日本人墓地の建設と維持にずっとかかわってきた趙さんという方が、当日ゲストとしていらしていましたが、映画が終わった後彼との質疑応答の際に彼が言った、

”残留孤児たちが日本に帰国できるとなった時、自分の同級生たちの中に”お前もか?””え?お前も?”と驚くくらい本当は日本人孤児だった同級生が多くいた。”

というお話が一番印象的でした。