今村キリシタン資料館
今村の人々が、貧困からの脱出という理由以外に、自由に信仰できるという理由で、明治時代から始めたブラジル移民。この資料館を開いている松雄氏のご両親も同じ様に当時ここからブラジルへ移民して行きました。そしてわけあって途中でここ今村に戻ってきた時、ご両親と一緒に帰国したのが小さい松雄氏でした。

青い目をしていた松雄氏は、子供の頃から苦労をされた方ですが、数奇な運命をたどるとともにのち今村に戻ってきて、自らの歴史でもあるキリシタンの歴史と今村の移民の歴史を後世に残そうと、このキリシタン資料館を開かれました。

残念ながら私がいった時は、85歳というご高齢とご病気とで入院されており、松雄氏とはお会いすることができませんでしたが、ご家族の方に無理いって今は閉められているこの資料館をみせていただきました。
←膨大な資料が所狭しと並べられている資料館の内部。

資料館といっても松雄氏がたった一人で、そして自宅の2階を開放して作られた手作りの資料館です。
←歴史的に価値のある、キリシタンに関係する収集品が数々並びます。
こちらは観音開きのマリア観音像。
これらの資料や文物は、松雄氏が長年かけて熱心に持ち主を説得したりして、キリシタン資料館の為にそしてキリシタンの歴史の為に集めてこられたものなのだそうです。
         こちらは”踏み絵”  →
教科書でみたことはあったけれど、実物を見たのははじめてでした。こんな風にできていたのですね。
そしてたとえ紙一枚であったとしても、信仰のためには踏むことができない信者がいたとは、信仰の深さ、純粋さというものを本当に強く感じます。
教会の中を見学させてもらっていたとき、お祈りに来ていたH氏とお話しをさせてもらいました。今村の方はいまでもキリシタン言葉を使っていて、H氏も私に”オラショ(お祈り)にみえたの?”とキリシタン言葉で話されてました。”オラショ”がお祈り、博多どんたくのどんたくも、キリシタン言葉の日曜日という意味の”ドンタク”からきてるのだそうです。

非常に紳士的で、丁寧に教会のことをおしえてくださったH氏。
←最後、私にわざわざ黒糖パンをかってきてくれました。私をとっても感動させ、あたたかい気持ちにさせてくれた黒糖パンがこれです♪
松雄氏個人で開いている資料館なので、ご家族の方もどれくらいの貴重な資料があるのかほとんど把握できていないのだそう。
今、松雄氏の入院が原因で資料館は閉じることを余儀なくされてますが、貴重なキリシタンの歴史を知ることのできる素晴らしいこの資料館、このまま埋もれてしまうことなく、いろんな人にキリシタンの生き様や信念といった心の強さ、そして歴史を知ってもらえるように公開していけないものでしょうか?部外者でありながら何かできることはないかと、模索しています。